年中行事
お盆【八月】

誓得寺お盆会法要

盆会は、厳密には孟蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれています。

お釈迦さまのお弟子の中で、目連尊者(もくれんそんじゃ)(まかもくけんれん)は、特に神通力に秀で、さまざまな事柄を見通すことができたと言われています。「佛説孟蘭盆経」(ぶっせつうらぼんきょう)というお経に、次のようなお話が説かれています。

あるとき、目連尊者が、亡くなったお母さんは今どうしているだろうかと、神通力をもって見ますと、何とお母さんは生前、吝嗇(りんしょく){けちん坊}だったことの報いで餓鬼道という恐ろしい世界に堕ち、倒懸(とうけん){逆さ吊り・ウランバナ→ウラボン}の苦しみを受けているではありませんか。何とかしてお母さんを救い出したいと思った目連尊者は、その方法をお釈迦さまにお尋ねします。お釈迦さまは、“雨期の三ヶ月の修行{安居}(あんご)の最後の日に佛と僧とに供養しなさい。そうすれば、7代前までの父母の苦しみを救う事ができます”とお答えになります。目連尊者は早速、み教えを実行し、お母さんは倒懸の苦しみから救い出されたというのです。

この経典にもとずいて、この世に深い思いを残しつつお浄土へおもむかれた故人をしのびながら、これをご縁として、今日もまた、お念佛を申させていただきましょう。

お彼岸【九月】

誓得寺彼岸会法要

暑さ寒さも彼岸までとよくいわれますが、彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。サンスクリット語でパーラミター【波羅蜜多】(ハラミツタ)の漢訳で彼岸に到るという意味です。煩悩に満ちたこの世、此岸(しがん)から悟りをえた世界、極楽浄土を彼岸(ひがん)といい、わかりやすく言うならば、この世を〈此岸〉三途の川を挟んで極楽浄土を〈彼岸〉と思って頂ければわかりやすいかと思います。

仏教には、西方浄土といって西の方角に極楽浄土があるとされており、春分の日・秋分の日には太陽が真東から昇り真西つまり極楽浄土に太陽は没します、この太陽が海に沈む時に海面に映しだす極楽浄土への道を白道(びゃくどう)といい、阿弥陀様が示して下さった白道を信じて進めば必ず極楽浄土に至るとされています。

彼岸会とは既に彼岸の世界へ達したであろうご先祖を供養するとともに、自分自身も極楽往生出来るように願い勤行を行います。

報恩講【十一月】

誓得寺報恩講

報恩講によせて

私たち真宗門徒が宗祖と仰ぐ親鸞聖人は、1262年(弘長二)11月28日に、そのご生涯を終えられました。宗祖が果たされたお仕事の大切さを讃え、文字どおり恩徳に感謝し報いるためのお勤めが報恩講です。一人ひとりが自分の生活を振り返り、宗祖の教えの意義を確かめる、一年でもっとも大切な御仏事です。

報恩講の歴史は親鸞聖人が往生された後、聖人を祖師と仰ぐご門徒方が、親鸞聖人のご命日に合わせて毎月28日に念仏の集会を開くようになり、これが報恩講のはじまりです。その後、親鸞聖人の33回忌にあたり、第三代覚如上人はこの集会を『講』と称し、聖人のご恩に報いる講という意味で『報恩講』と名づけ、毎年法要が営まれる事になりました。

聖人のご一生は、「ついに念仏の息たえましましおわりぬ」と、まさに念仏に貫かれたものでした。この現実社会を生きていく中で、私たちは本願念仏の教えがどれほどかけがえのないものであるかを確かめる機縁として、蓮如上人がお示しのとおり、正しくお念仏のいわれを聞かせていただき、身にいただいて、真実信心の行者になる事が聖人のご恩に報いる道であり、如来大悲の恩徳を報ずる事でもあります。真に『恩を知り、徳を報ずる』報恩講は宗祖親鸞聖人のご苦労をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをいただく事をあらためて心に深く味あわせていただく法要です。私達にとって最も大切な法縁といえます。いただいてきた報恩講を大切にお勤めしていきたいものです。

新年会【正月】

初会

今年の新年会には多数の方にご参加いただきご家族で楽しんでいただきました。 当寺では地域の皆さんとの交流を深めるためにも 季節ごとの行事により多くの人にご参加いただいております。来年の催しにもお気軽にご参加ください。

お彼岸【三月】

誓得寺 春彼岸会

“暑さ寒さも彼岸まで”ということわざがあり節目ですが、ここでいう“彼岸”とは“彼岸会”(ひがんえ)の事を指していいます。また、“会”とは法会・法要の事で、“彼岸”とは此岸(しがん)こちら側の岸、煩悩・苦悩・迷いの世界、つまり私たちの世界に対し、あちら側【彼岸】すなわち悟りの世界、佛の世界という意味であります。その間には108の煩悩の川が流れており、煩悩を捨て去った時、悟りの世界である彼岸にたどり着くといわれています。ですから彼岸会とは、佛の世界に生まれる事を願って勤める法会、という意味になります。

『佛説阿弥陀経』には、“西の方には佛の世界が十万億もある。その更に向うに極楽と呼ばれる世界があり、阿弥陀という名の佛が居られる”と説き、『佛説観無量寿経』には、浄土に生まれるための様ざまな修行の第一番目として、“正しく西に向かって坐り、諦か(あきらか)に日没を観よ。心を集中し、宙に懸った(かかった)太鼓のように真ん円(まる)い太陽を見、目を閉じている時にもその姿をありありと心に画け(えがけ)”と説かれています。

我が国では、約 1200 年昔の平安時代の初期から、夕陽が真西の方向に沈む春分、秋分の日を中心に、西方浄土に往生することを願う法要が営まれるようになり、お墓参り・お寺詣り・家庭でのお勤めなど、あらゆる機会と通して往生浄土の願いを新たにし、お念仏いたしましょう。

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